アイ、アム、アイ

他でもない自分について

呪い

 

 

おはよう。

前回はみんなにプレゼントをしたので、

今日は軽く呪いでもかけてみよっかなーって。

 

 

人を呪わば穴二つ。

なんてことわざがあるように。

呪いというものは、かなりリスキーなものです。

だから、嫌いな人なんて呪わないんですよ。

呪うわけないでしょ。

だから、もしあなたに心底嫌いな人がいて、

呪ってやりたいと思うなら、それはやめましょう。

呪いよりも、存在そのものを心から消した方がいいですよ。

人は人の記憶から消えることが一番悲しいはずです。

じゃあ呪いはなんのために存在するのでしょう。

 

みなさんは葵・物の怪の出現という物語を知っていますか。

源氏物語のなかのひとつですね。

私は授業で初めて聞きました。

鬼のようにわかりやすく書いてくれていた人を見つけたので引用します。

許されたい。

 

 

こんなお話なんです。

なかなか衝撃的でしょう。

しかし、現実的にありえない話ではありません。

不倫相手が何度も離婚してくれると言っていたのに、

子どもができたら急に別れてくれ、忘れてくれなんて。

テレビやSNSではありふれた話かもしれません。

 

ここで気になるのが、やはり物の怪です。

これこそ、古典って感じがして私は好きなんですけども。

でも、生き霊なんですよ。

生き霊って聞くと、なんだか身近な気がしませんか。

生きながらにして、霊を飛ばしてしまう人が、

どれだけの想いを持っているか考えたことがありますか。

 

人ひとり殺せるほどの思いが、ただの嫉妬だと思いますか。

これこそ呪いの意味だと思います。

 

 

あなたは、好意を付随させた嫌悪を持ったことがありますか。

私はありますよ。

死ぬほど愛していながら、二度と顔も見たくないと思ったことが。

稀なことに、二回ありますね。

ちなみに、今も。

完全に火は消えていますが、火種はあります。

煙が消えることはありません。

 

好意とは優しくて、温かいものです。

強い好意は、その人の生きる意味にすらなってしまう。

それをある日突然、無理やり終わりにさせらたら。

あるいは、唐突に裏切りが見えたら。

もしくは、信じていたものが嘘だと気付いてしまったら。

まずは、しかるべき反応を。

ショックを受けます。悲しみ、怒り、どちらも正しい反応です。

しかし、この気持ちは永続しません。

自分の中で受け入れて、噛み砕きます。時間をかけて。

そこから離れるか、気持ち新たに再び好意を灯すか。

どちらもありえますね。

 

しかし、中には好意が強いあまりに、

受け入れる作業が難しくなってしまう人もいます。

自分ではうまく消化できないでいるのに、

周りばかり前に進んでいく。

すると人は、

なぜ私がこんな目に合わないといけないの、

と被害思考になることもあるでしょう。

被害思考になった人が、目の敵にするのは

周りのファンか、もしくは愛した相手か。

どちらかになるのも、納得です。

 

嫌いなら見なきゃいい、離れればいい。

正論です、正しい判断ができている。

しかし、その選択にすら到達していないのです。

だってまだ、受け入れられてないのだから。

離れるか残るかなんて、まだまだ先の話。

だから、傍にいながら恨むのです。

愛している気持ちを失くすこともできないのに、

確かに傷ついてる現実。

この狭間で、何を思うでしょう。

 

私はあの日、あの時、

あの人に生き霊を飛ばせたらいいのに、

と確かに願っていました。

これが私の思う呪いです。

 

 

話が長くなりました。

冒頭に呪いをかけるといいましたね。

 

あなたは「呪い」のもうひとつの読み方を知っていますか。

「のろい」の他に、「まじない」とも読みます。

こう読むと、可愛らしく感じませんか。

私があなたにかけるおまじない。

それは、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

プレゼント

 

 

こんにちは。

今日はあなたに私が最近得た知見をプレゼントしようと思います。

もう持っていたなら、申し訳ない。

プレゼントが被ってもその場は笑って過ごす、それが大人の優しさだと思って。

 

後悔と恋の関連性を考えたことがありますか。

あの時告白しとけば、あの時喧嘩しなければ、とか。

わりと恋愛には後悔という単語が関わっていると思うわけです。

恋愛とは少し違いますが、私もあの時、ああしなければ....と思うことがあります。

今年の春に、悲しい別れをしました。

恋愛ではなかったと思います。友達と互いに自負していました。

それでも心のどこかで、友情とは言い切れないかも、と自惚れていたはずです。私も相手も。

そんな相手を私は自ら手放したわけです。

くだらない理由でしたが、耐えれなかった。

しかし、次の日からは後悔の毎日でした。

アホだと思いますが、それこそ今日というこの日まで。

忘れたことはありません。

後悔という感情は恐ろしいもので、傷は浅くなり悲しみもなくなるのに、いつまでも傷として残る。

痛みも痒みもないそこを、何度も見ては撫でてしまう。

愛着まで湧いてしまえば、忘れることは二度とないでしょう。

そんな傷になりました。その人との別れは。

恥ずかしながら、一度だけ謝罪の便りをだしたのです。

もちろん返事は来ず。かさぶたを剥がしただけでした。

そこからしばらく忘れていたのに、私はもう一度手紙を出してしまったのです。

そしたらなんと、なんとですよ。

返事がきたんです。もう1年以上経つのに。

覚えていてくれたんです。驚愕して、死にそうになりました。

そんなこんなで、連絡が取れて、

最近何してる?とか、そんな近況報告をすることができたわけです。

 

前置きが鬼のように長くなってしまいました。

本当に取り憑かれたように悲しみに暮れてたんです、私。

そんな焦がれた相手から返事が来て、何を想ったか。

わかりますか、皆さんには。

まずはとてつもない驚きです。そして同時に嬉しさ。

そのふたつの後ろに少しだけ、ほんの少しだけ虚無感です。

そう、虚無を抱いたのです。私は。

現に、もう相手から返事は来ていません。話は途中ですが。

でも、なんとも思わないのです。

この1年、私の首を真綿で締めていたのに。

相手から反応が来た瞬間、何かを失ってしまった。

もう私に後悔の念はありません。苦しみから解き放たれました。

しかし同時に、湧いた愛着すら消え失せてしまった。

 

そこで気付いたのです。

私は後悔に恋をしていたのです。

相手と過ごした時間に甘いエフェクトをかけて、

楽しかった事実を誇張して思い出していたわけです。

 

再び思い出を話します。

小学5年生の頃に、とあるキャラに恋をしていたのですが、ある日アニメを見ていたらそのキャラが愛した女が出てきたのです。

リアコ強火オタであった私はその事実だけでむせび泣き、死にたくなるほど病んでいたのに、なんとその女は死にやがりました。

酷い言葉遣いで申し訳ないんですけど、その当時、私は絶望に突き落とされたのです。

ああ、これで私の好きなキャラは二度と恋をしなくなるんだなと。

綺麗なまま、心にその女を残して、誰も愛さなくなるんだろうなと。その事実に気付いて、死にたくなりました。

 

このように、人というものは綺麗なものをそのままにしておけることができます。

それは、それから離れることです。失うことです。

きっと私は、あのままあの人と一緒に居れば、ここまで焦がれたことはなかったかもしれません。

いっときの感情で手放してしまったから、こんなにも求めてしまったんだと思います。

 

好きって感情は、とかく不思議なものです。

恋に恋するなんて、よくできた言葉だなって思います。

私が好きだったのは、あの人と共有していた時間だったのかもしれません。

あの人の前で笑う自分が好きだったのかもしれません。

離れて初めて好きだと気づくなんて、ありえない話なのです。

相手がいないのに好きになるなんて、そんなの。

そんなの、本当はありえないんです。

 

こんな知見を最近になって得ました。

もしよかったら、参考にしてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんばんは。

単刀直入にいいますと、人は嘘を吐くものです。

私の人生において、嘘って結構重要な役割を占めています。

初めて嘘を吐いた日は覚えていません。

覚えていないくらい幼い頃だったのか、

はたまた重ねすぎて忘れてしまったのか。

そのどちらも同じなのかもしれないです。

 

私は自分で吐く嘘に関しては、あまり興味がないです。

言葉にしたその瞬間は嘘でも、後々帳尻を合わせたり、

もしくは誰にもわからないような微々たるものです。

例えばですが、バイトの日に寝坊したとき。

人生に一回だけありました。寝坊。

そのとき、慌てて店に電話して私はいいました。

「急にお腹が痛くなって・・・」と。

まず客観的に見て、これは嘘です。紛うことなく。

事実と異なることを嘘と言うわけですから、これは当てはまりますね。

だけど、これを嘘だと知っているのはこの世で私だけです。

一度も遅刻をしたことがない私が初めてした遅刻。

きっと店長さんは本気で腹痛だと信じたでしょう。

心配してくれました。私は精一杯謝りました。

はい平和。ぴんふってやつです。

ここで素直に寝坊なんていう意味ありますか?

それこそ3時間も遅れたりするなら、疑われるので嘘をつくことはやめたほうがいいでしょう。

こんな嘘もありますよね。世の中には。

 

他には楽しい嘘と、ドキドキする嘘と、最低な嘘と、

どうしようもないくらいくだらない嘘もあります。

 

自分語りしますね。まあここは俺のブログだしな。

たぶん俺は、人よりちょっとだけ相手の真意を見抜ける力があります。

もちろん心が読めるわけじゃなくて、ただ雰囲気で予想したことが当たっている場合があるってだけで。

まあ、自分ではわりと自信があることなんですけど。

それ故に、相手の嘘が分かったりしちゃうんですね。私は分かっても絶対に相手に言いません、指摘しません。気付かないと思って君がついた嘘を、わざわざ炙り出すような無粋な真似はしません。そりゃあね。

優しい嘘もあるんですよ。

俺が寿司好きなのを知っているから、自分も寿司が好きだって言ってくれるあの子とかね。本当は大して好きじゃないくせに。すごく可愛くて愛らしいと思います。

かと思えば、自分本意な嘘をつく人もいます。

自分を守るためだけの嘘。しかも、小さな嘘。

己をうっすい皮でつつみたいんでしょうね。それが嘘です。

俺にはわかります。君の嘘が。

もちろんその人は言うでしょう、嘘はついてないと。

しかし、残念な話ですが、

結果嘘になってしまったらそれは嘘なのです。

もっと言えば、自分に薄いベールをかけたいがために、

相手を傷つけるならば、それはもう嘘なんですわ。

でも多分、多分ですけど。

それを嘘だと気付く人は決して多くないから。

そしてその嘘は、誰もが当たり前につくものだから。

受け入れないといけないんです。

許す許さないの話ではなく、受け入れるべきなんです。

悲しいものですね。

少なからず、私は傷ついているんですよ。

でも、それは当たり屋の証言かもしれません。

必ずしも傷を作ったら悲しんでもらえるわけじゃないから。

私が生きるたった二十年くらいで気づいたことです。

騙すなら、最後まで騙さないと。

嘘だとみんなにバレて、非難されて、叩かれても、

騙し続けてやるという気概を持たないと。

いや、その気概を持てるならば。

多分それは、とんでもないエンターテイメントになるんだろうな。

目指したいものですね。

 

あ、最後に嘘をつかないで済む方法をひとつ。

何も言わないことです。

嘘をつかなきゃいけない状況の時に黙ること。

適当に流すこと。

言わなきゃいけない流れなんて、

あなたが勝手に負けただけでしょ。

自分が負けたことを、周りのせいにしないこと。

 

 

できたら苦労しないけどね。

 

 

 

 

 

 

ソーシャルネットワーキングサービス

 

 

 

こんばんは。久しぶりに書くような。

題名は文字数稼ぎのためにあえてカタカタで書きました。

ただそれだけの話です。

最近聞きました。最近の子は、もうツイッター使わないみたいですね。

流行り廃りは必ずあるものだけれど、ツイッターはずっと使われるものだと思ってた。俺は一生使うと思うわ。

今はインスタとティックトックなんでしょ??

インスタとか載せれる写真なくて困ってるよね。

アルバム開いても、神絵師によるイラストか、推しのスクショしかないし。載せられね〜〜〜。

チックタックなんて触ったこともないわ。なんだ、あのアプリは。

もうネット老害なのかもしれません。

それでも俺はツイッターにしがみつくわけで。

ツイッターって、アカウント無限に作れるし、自分が自分である必要ないところが魅力的だよね。

写真ってわりと嘘つけない。勝手に人の写真DLすればいけるかもしれないけど、そこまでするやる気も気力もない。

でも言葉っていくらでも嘘つける。一人称と口調変えれば、まるで別人のように振る舞えるからね。

それで生きてきたところあるんだ、俺は。

あと、これは私がよくやることで、もう勝手に名前つけたんだけどさ。

ツイッターのアカウントを消すことを俺は模擬自殺と呼んでるね。

俺にとってアカウントって、ひとつの人生なんだよ。ひとりの人間。だから消すとさ、自殺体験を味わえるんだわ。

これ癖になるんだよね。慣れたら虚しいだけだけれど。

まあだから本当に人生終わらせる前に、体験してみて欲しいね。

全員がこんな使い方してるわけないだろうし、それこそ趣味とかフォロワーの厳選とかでアカウント分けることはしてるんじゃないかな。

知らんけど。

 

ネットの世界でくらい自分の好みドストライクの人たちとしか関わりたくないよな〜〜って思ってたら、ネットでもひとりになってたわ。

ていうかよく考えたら、現実世界でもやってたわ。

ポケモンの色違いよりも難しいとされてる厳選を繰り返してたら、まじで3人くらいしか友達いなくなった。

あと、新しくできない。

ネットでもやったら、ついに2人くらいしかいなくなったしな。

でもこの5人のことは、本当にもう神だと思ってるけどね。

よく付き合ってくれてるよ、俺に。感謝しかない。

でも俺友達欲しいし、本音言うなら10000人欲しい。

短冊に書こ。

毎日日替わりで友人と飯食いに行きたい。

一緒にいて疲れない友人がいいです。

趣味は違うけど、俺が勧めたら軽率にいろいろみてくれる好奇心の強さがいいです。

でも好みのタイプはバラバラで。

食欲と金銭感覚が同じくらいで。

無言でも耐えられる人がいいわ。

 

 

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ガハハ。

 

 

 

 

 

数字が与える感情

 

 

こんにちは。今授業中。つまらないからブログ書くわ。

なんとなくここ来たら、今月のPV数が100を越えたってお知らせが。

PV数って見てくれた数ってこと?多分そうだよね。俺はそう解釈した。

え、でもこのブログ、俺が知っている限り俺ともう一人しか読んでないけど。

もしかして自分で99回読んでる?まあそれもあるな。自分の書いた記事好きだし。全然読んでる可能性ある。3000字くらい書いた自分の文章、定期的に読み返しては満足したりしてるからね。お得だね。自給自足だ。

で、まあ100って数字を言われてもいまいち掴めずに。それよりもたったひとつのコメントの方が1000000000倍嬉しかったり。感情って案外、数字の大小だけで決まるわけじゃないんだなあってね。まあお金なんてあればあるほど嬉しいし、睡眠時間も無限時間欲しいけど。

 

お金で思い出したけど、なんかさお金持ちってどれだけ金あっても満足しないらしいじゃん。俺なったことないから知らないけど。よく通帳の数字を見るのが幸せとか言うやん、それってマジ??金持ちっていきすぎるとそこまでいくの??絶対使った方が楽しいやん。でも溜まるのが楽しいって思うくらい、使う事柄がないのかなあ。その人生楽しいか??俺は絶対使うね。まあ逆に言えば、使っているからお金持ちにならないんだろうね、俺は。あ、そうだね。そうだ。つまりパーセンテージってことだ。使う金と入る金の釣り合い。多分金持ちの中でも、めちゃくちゃお金使ってるのに入る金の方が多くて溜まるいっぽうみたいな人がいるかもしれない。それはすげ〜な。充分に遊んで、充分に金がある生活は最高。それは憧れる。でもそれまでめちゃくちゃ努力しないといけないんでしょ、きっと。泥水啜ったり。しかも、金持ちって泥水啜った中のほんの一握りがなれる訳であって、啜ったまま泥水のなかで生きてる人もいるわけで。いや〜〜〜、リスキーだね。じゃあ俺は何も啜らずに、毎日コーラゼロの500mlを飲み干すことだけを生きがいにして生きていくわ。毎月500円だけ好きな人に貢いでね。最高だね、この生活。

 

俺は向上心がないことで有名なんだけどさ。マジで現状維持でいいよね。それはこの今が幸せだから言える、ある意味最高の贅沢なんだけど。金持ちはさ、金持ちにしか体験できねえヤベーくらい幸せなこと体験してるだろうし、でも逆に時給がやっすいバイト終わりのコーラゼロがどれだけ美味いかをもう二度と味わえないかもしれないし、お母さんの料理が結局一番美味しいことを忘れちゃったかもしれない。だから幸せなんてマジで人それぞれだと思うんだわ。俺はママの飯食ってる時が一番幸せだね。どんだけ高い金を払ってもママのご飯食えない人たちのことを考えると、やっぱり世の中金ばっかり大切なわけじゃないわ。

 

でも最近授業の一環で、貧困について勉強してんの。マジで俺は何も知らないんだなーって思い知らされるし、本当アホみたいなこと言うけど全員が幸せであって欲しい。俺はここで俺が何とかしなきゃ、って思えるほど正義感も行動力もないけど、せめて祈るくらいはしたいし、身近な人は何がなんでも幸せにしてあげたいよね。俺ができる範囲で。自分のことで手一杯な人が多いのもめちゃくちゃわかるし、きっと俺も社会人になったらそうなるのかもしれないけど、せめて人類に優しい人間でありたいな。自分が苦しくて辛くても、誰かを恨んだり、叩いたりするような人間にはならないようにしたいね。もっと言えば、そういう風な考えしかできなくなっちゃった人を、少しでも笑かしてやりたいなー。俺のプチすべらない話で。そこは任せて欲しい、俺口だけはよく回るんだ。

 

授業嫌いだけど、思考にはめちゃめちゃ影響及ぼすんだよね。

可愛いなあ!俺は!素直でよ。

 

おわり。

 

浮かんでは消える。

 

 

こんばんは。最近寒くね?あ、もう寒さについてはいいか。いかがお過ごしですか。最近俺は病院に通っていて、面倒くさいのよ。体調に思いっきり影響しているわけじゃないけど、まあこれから多分一生付き合っていかないといけないやつだから、仕方なく通う。詳しくは書かないけど、もうほんとね〜〜〜〜〜、ほんと性別ってクソじゃね?なんか、性別ってクソな気がする。いや、思想強いなって思われるかもしれないけど、性別の必要性って何。やっぱりベイビー?だったらさ、ベイビー、何故卵から産まれてこない???性別関係なく、欲しいと思うときにコロンって産まれてくればいいのに。まあ、ベイビーの問題だけじゃなく、いよいよ性別の意味がわからん。

 

俺、自由に生きたいのよ。まじで自由に生きたい。例えば、化粧。もちろん好きな人はめちゃくちゃエンジョイして欲しいし、俺みたいにしたくない人はしなきゃいいと思う。一回、バ先のアレの時に「マナーとして(化粧してきてくれ)💦」とか言われたことあるけど、意味わからん。俺のすっぴんはマナー違反なのか??なあ、おい。誰の顔がマナー違反やねん。あと服とか。スカートもズボンもなんでも誰でも好きなもの着たらよくない??あとスーツも着たい人だけ着たらええがな・・・なあ・・・。可愛いって単語もかっこいいって単語も、全員に使ってええやん。抱いた感情に嘘つく必要ないじゃん。あと、恋愛もさーーー、誰を好きになってもいいだろ・・・。少なくとも俺は、この人がこの性別だからって好きになった記憶はない。誰にでも好きになる権利があって、誰にでも断る権利がある。そう思わんか。

 

まあ、全部理想論だけどね。でも本当はこれくらい自由に生きたい。ツイッターの番人だから、基本的に毎秒トレンド見てるし、検索するんだけど、生き辛そうなツイート多くて多くて。別にその人の人生だから、好きにしてくれればいいんだけど。どぼちて???っていう感情が止まらないし、その人について永遠に考えてしまう。俺、自分が理解できない人のことを考えるの好きなんだよね。何がその人をそうさせるのかとか、永遠に考えちゃう。考察厨。

 

180度話変わるけど、なんか考察厨になってから、三次元にしか推しができなくなったんだけど。しかも、より一般人に近いところね。なんかナマモノの考察ってタブーとされてるんでしょ?知らんけど。まあ目に入らなかったらセーフしょ?でもなんか、人のこと考えるのは楽しいけど決めつけは良くないよね。これは自戒でもあるんだけど、やっぱりどうしても俺は劣等感0人間だから自分の考察が100%合ってると信じ込んで、本人がその解釈と違うことすると、眉を潜めたりね。害悪ファン。でも偉いから本人の目に触れさせたりしなかったし、暴発する前に離れたけどね。いやでも考察はやめられない。ゲームってその人の感性とか人生経験が反映されること多くない?特に選択肢系。あ、でも作業ゲーとかでも大雑把とか面倒くさがりとかわかるけど。そういうゲーム好きだわ、性格わかるゲーム。なんか一人で考えて、一人で興奮してるんだよね。もしかして、キモい?わかる。

 

いや、話題がとっちらかってる。まあいいか。ここは俺のブログ、そしてこれは俺の自己満。

推しについて書きたいけど、なんか恥ずかしい。なんか恥ずかしくない??最近できた推し。マジで最高に可愛いのよ。どうすればいい???この気持ち。恋まである。毎日考えてるんだ、君のこと・・・・。なんか最近感情のない人を好きになりがち。なんでやろ、なんか私が感情溢れまくってるからかな。声に抑揚がない人とか好き。ていうか、なんか基本的に今見てる人たち、同じゲームを何千時間とか当たり前にやる人たちだから、何かしら欠如はしてそうなんだけど。結局そういうところが好きです。あの人も同じゲーム無限にやってたし。なんかそういう人たちのこと好きなんだろうな〜。あとさあ、なんかさあ、ってマジなんの話??

 

 

ところで、この記事のタイトルをつけた時の俺へ。

なんでこのタイトルにしたの?

 

おわり。

 

 

 

P.S. 一個前の記事にコメントをくれた貴方へ

コメントありがとうございます。ご無沙汰してます。

俺は変わらず元気です。有り余る愛を見知らぬ他人にぶつけてます。

あの名前で復活することは二度とありませんが、このブログは気が向いた時に好きなだけ書く予定なので暇な時に読んでください。

よろしくお願いします。大好きです。愛を込めて。

 

 

おーたむ、はだざむ。

 

 

お久しぶりです。俺です。

タイトルは気に入ってます。クソダサパンチライン

最近寒いですね。いよいよ俺の季節だなあなんて思いながら、歩いたりするわけで。秋と冬、冷たい風が身体をなぞるたびに、めちゃくちゃ好きだなって思うんです。俺、この季節。マジ好き。多分、今後この季節のうちにまたブログを書くことがあるならば、きっと俺はまた言うね。同じセリフ。何度でも書きたいくらい好きなんだ、この季節。許してくれ。

 

さあ、まあ何を書こうかって話だけどさ。過去のブログを見てもらったらわかると思うんだけど、だいぶね、だいぶ無理してるね。あれ。嘘はついてないよ、どの記事に書いた言葉も全部本気。でもいつも人の目を気にして書いてた。見えない誰かの評価を気にしてた。どういう文章書いたら評価されるかな、褒められるかなって。

でもここで面白いのが、俺って自信過剰なんだよね。なんかの診断で「劣等感0」って言われるくらい。自分でも、まあ自信はある方かなとは思ってたけど、まさかここまでとはね。他者の評価に依存するくせに、劣等感が0だと何が起こるかわかる?どうして俺は評価されないんだ!?!?!とかいう激ヤバな怒りね。他人にキレちゃうんだよね〜、ここで。それがやばい。だってこんなの自己満じゃん。最初は自己満のつもりで始めるし、書くのよ。でも少しでも、ほんの少しでも評価されると調子に乗って、まるで求められているから書いているようなつもりになる。そうすると、書いたのに評価されない!?!?俺はあんたらのために書いたんだ!!!などと供述してしまう。やばいね〜、もう犯人だこれ。まあ私のことだけど。

 

悪いことではないんだけどね。こうやって逆ギレして、もっと精査して、俺の文章のレベルが上がったら最高じゃん。そうやって向上心に繋がっていくのなら最高だけど、そこまではいかない。不貞腐れて、やめる。やめたらやめたで、もちろん誰にも悲しんでもらえないから寂しくなる。病む。死ぬ。つまり、負のスパイラル。これを続けて生きてきたんだ、俺は。ここ数年。数年!?!やば。薄々わかっていたのに、改めて文字に起こすと本当にアホだな。いたたまれない。見てられない。

 

評価されて当たり前なわけないんだよね。文章を、評価のために使ったらいけない。ていうかさ、俺が一番嫌いなやつじゃん。好きなものを、自分の欲を満たすために使うこと。当たり前のように俺がやってたんだ。酷い話だね〜。自分でもそう思うよ。

 

誰かに評価されたいから、誰かに好かれたいから、とにかく他者に何かしてほしいからという理由でやったってさ、その裏に透ける何かをなんとなく感じ取って、誰も近寄りたくないだろうね。なるほどね、友達ができない原因のひとつだったわけだ。

 

年齢を重ねるたびに、汚くなって、素直じゃなくなって、ずるくなる自分に辟易する。わかっているのに、できない。子どものように、優しく純粋無垢でなんていられないんだよな、いつまでも。それでも大人になっちまったからには、大人なりの考えとか知識とか経験をフルで活用してさ、自己反省して改めていこうぜってね。

 

大丈夫だよ、やっぱり俺の文章は天才的だから。

なーんつって!

 

・・・はだざむっ。

 

 

おわり。