アイ、アム、アイ

他でもない自分について

打ち切りエンドォ!

 

 

 

なんとこのブログ、この記事をもって終了します。

消しはしないと思うけどね。

もし私が死んでも、

この文章が残り続けるというのもまた一興!

 

見てくれていた、あなた。

ありがとう。またね。

 

多分俺は、地獄でも書き続けると思うよ。

さようなら、また来世!

ジブン

 

 

最近、この時代っていうものもあって自分の性別についてよく考えている。性別というか、気持ち?うん、気持ちかも。小学5年生の時に、一人称が”俺”に変わった。当時、大好きだったアニメに驚くほど影響を受けて。そこから、中学卒業するまでは、家でも学校でも、誰の前でも一人称は”俺”のままだった。高校生になり、人や場所を選ぶようになった。教師や先輩の前では、”私”にするようにした。中学の教師にも言われたことや、自分でもなんとなく変えないといけない気がしたから、意識するようにした。それでも気の許す友人の前や家族の前では、一人称は変わらないままでいた。今では、すっかり”私”という一人称に慣れてはいるものの、時折ぽろっと零してしまう。しかし、あんなにしっくりきていた一人称が、今となっては少し違和感を感じる。だからといって、”私”に違和感がないかと言われればそれも違う気がする。

性別というのは、人間に生まれたからには必ず存在する。私は女である。今までもこれからも、生物学的に女であることは変わらないはずだ。しかし、自分のことを女の子だと思ったことはあまりない。自分が女の子であることが許せないとまで思っている。可愛いのために努力できないのに、可愛い女の子のことを妬んでいる自分は、性別以前に人間として終わっていると、本気で思っていた。今でも可愛くなりたいと思っている。次の日起きたら、パステルカラーの似合う女の子になってたらいいのにと思う。

これらの気持ちと同時に、自分が男の子だったらよかったのになとも思うことがある。可愛くて、好きな女の子の友達と一緒にいると、俺が男の子だったらきっとこの子を幸せにするだろうに、と本気で考えたりする。でも、男の子だったらこの子のこういう一面を知れないのかと思うと、女でよかったなとも思う。自分のなかで、常に男と女が混在して、混ざり合って、どっちにもなりたくて、どっちにもなりたくない。でも、最近はこういう考えを持った人も多くいることを知った。隠さなくてもいい時代なんだと思う。別に、自分はわざわざ誰かにいうわけでもないけど、こうやって文字に起こすことに罪悪感を持たない。

結局何が言いたいかというと、自分は自分というただ一人の個体だということ。2分の1なんかじゃなくて、1分の1。自分は自分でしかない。だから、ふわふわのスカートを見て、可愛いなって思うし、でも今世は着れないから来世で着ようってポジティブな気持ちで思えるし、女の子に特別優しくしても受け入れてもらいやすい性別を嬉しく思うし、こんな性格だから女でありながら男の子と友情を育めることにも感謝してる。ド派手なメンズファッションを愛してる。面倒くさいという理由で化粧はしないけど、推しに会いに行く時だったり、男の子と遊ぶときだけ赤いリップを引く自分を軽蔑しない。だからというわけじゃないけど、きっと自分は好きになる相手の性別は問わない。これまでは本能的に男性を求めることが多かったけど、でも別に性別は関係ないと思う。好きな人が好きだよ、自分は。

 

今日はこんな内容だから、あえて一人称を自分にしたけど、きっとこれからのブログは気分や日によって一人称を変えると思う。だからといって、なんの意味もなくて。女の子らしい自分も、男の子らしい自分も、それはつまり自分らしいということだから。

 

生きやすい世界かどうかなんて、主観でどうにでもなるわ!

 

ということで。またね。

ドーナツの穴。

 

 

もしかしたら閲覧注意そう。

 

 

こんばんは。今日は文字小さめでいきます。たぶん、そんなに大した内容じゃないけど一応ね。一応。「なんか俺のことを欠点ごと愛せるほど器が大きいって思ってくれてる人がいるならそのままそう思ってて欲しいんだけど、ほんとは全然そんなことなくて、ただ性癖なだけなんだよね。人の欠点が性癖。と言うね、ツイートをしたところ、なんで?という小学生のように素朴な疑問を頂いたので、しっかりと考えていこうと思います。良い機会をくれたフォロワーさんに感謝します。ぺこり。

みなさんにもありますよね、性癖。私にもあります。性癖って、本当はやらしい意味ではないみたいですね。性的嗜好と混在してしまってるようで、なるほど納得といったところです。まあ、性的嗜好と言うほどではないけど、性癖よりもちょっと下心のある俺の個人的考えなわけです。

先程も述べたように、私は人の欠点に恋をするし、興奮を覚えます。しかし、きっかけではありません。例えば、世界で一番面白い男がいます。私はその人が好きでした。盲信していたし、愛してました。彼は世界で一番面白かったのです、神様からのギフトである天然と天才的なセンス、そこに惚れました。つまり、きっかけは彼の類稀なる長所だったんです。しかし、そこから彼の人間性に触れていく機会がありました。ずっと面白くて、アホほど真っ直ぐで、太陽だと思ってたんです。しかし、人間性に触れていくと、全員を照らす太陽は彼の理想像を叶えているだけにすぎなかったのです。誰にでも優しいのは事実だったんですが、現実の彼はどこか現実に諦めてるようでした。太陽がないことを知ってるから、虚実だらけのネットで自分が太陽になろうとしているみたいで、他者を救うというより自分を救うために行っているようで、そこがすごく愛おしくて大好きでした。

お気付きの方はお気付きかもしれませんが、先ほど書いた太陽の彼は、欠点ではないです。いわゆるギャップですよね。太陽の黒点を見てさらに好きになってしまったということにおいては似ているかもしれませんが、別に欠点ではないと思っています。じゃあなんで書いたかって?まあ、これを読んでいるであろう誰かに向けたファンサですよ。この太陽とのお話は、私が焦がれるがあまりに近寄りすぎて、翼を焦がし、地獄に落ちたところでピリオドになっております。アンハッピーエンドですね。では、いよいよ本題に入っていきましょう。

落ちた先、地獄で出会ったのは、二人の神様でした。今でも彼らのことを信仰していますし、夢に囚われ続けています。そんな神様ふたりのうちの一人にね、世界で一番愛した男がいたんですよ。今までの愛してきた人たちとはまるで傾向が違って、それこそ雷のように恋に落ちた男がいたのです。この男のせいだと思います、私の性癖は。ずっと優しくて、ゲームがうまくて、懐が広くて、かっこいい男だと思ってたのです。もちろん、それは間違いではなくそのままの男でしたが、それ以上に目立つところがありました。彼は、人の話を聞くのが得意なようで噛み砕くことは苦手で、空気が読めず、自由を愛し、個人の思想が強くて、負けず嫌いで、ワガママで、馬鹿で、若い頃に恥ずかしいくらい尖りに尖ってて、三十路超えても異常に幼稚で、優しいというより善悪の判断が乏しいだけでした。ポロポロとこぼれ落ちていくように見えていく彼の欠点たちを拾うたびに、私はどうしようもなく愛してしまっていました。ああ、あんなに完璧な男だったのに、実はこんな欠点がたくさんあったんだ。人間として、欠けていたんだ。なんて可愛くて、魅力的なんだろう、って。本気で思ってましたし、今、久しぶりに思い出しては胸が苦しくなっています。恥ずかしい話ですが、本気で好きでした。彼を守っていた鉄壁の仮面の隙間から、彼という人間を作る欠点が溢れるたびに、彼が2Dから3Dになっていく様に、胸を踊らせていたのです。

彼の全部がだいすき♡ってことでしょ?ハイハイ。って思わないでください。違うんです。いや、きっとほとんど違わないのですが、違うんです。私は彼の全てが良いところだと思ってなくて、むしろ欠点だらけでヤベエ人間だと思ってました。欠点だと認知していながら、その欠点が好きだったんです。長所が好きなのは当たり前ですし、愛が深い人は欠点を長所に置き換えて愛すかもしれません。でも私は、人間としてダメだとわかっていながら、そこが愛しんです。これを私は「性癖」と呼んでいます。

ああ、大事なことを書き忘れていました。欠点と聞くと、マイナスイメージだと思うかもしれません。実際、マイナスイメージとして書いているので間違いではないし、反論は受け付けるんですけど、まるでカリスマのような好きにならざるを得ないような長所と、第三者から見ても一瞬でわかるような欠点を併せ持つことってなかなかできないです。私は身の回りの人で、長所を多くあげることはできても、欠点はなかなかあげられないし、あげれるとしても、本当少しです。もし言うならば、という前置詞が必要なほど。悲しいことを言えば、取り上げて悶えるほどの長所を持つ人もなかなか出会えません。長所であれ、短所であれ、振り切るというのは本当に難しいことです。長所も欠点も人よりずっと多い人は、それこそカルト的な意味で人気になるんじゃないかと思います。俺が、長所も欠点も人並みで、普通だからこそ、憧れるんでしょうね。

忘れたい過去たちを書いてきました。苦しくて狂いそうですが、現在の思考を形作ってきた、大事な要素です。忘れられないし、忘れないようにします。まあ、突然書こうと思って、こんなにベラベラ書ける時点で、ただ隠しているだけにすぎないんですけどね。哀れな女と笑ってください。答えになったかは分かりませんが、この性癖は今も健在です。最近は主に4、5人の推しに狂ってると思いますが、彼らもまた惚れ惚れするような長所と、ドキドキさせてくれるような欠点だらけなのです。もし、これを書けるようなら次の機会に。彼らがどれだけ愛おしくて、支えになる存在かをお伝えできたら良いなあと思います。それでは。

 

殺人未遂。

 

 

 

殺しかけたけど、息を吹き返した文章たち。

つまり、下書きに溜まってたボツ供養ということです。

読まなくていいやつです。よろしくお願いします。

 

 

 

秋の日は釣瓶落とし

 

こんばんは。タイトルはググってできてきたことわざです。秋の日は暮れが早い、という意味なんですけど、まさにここ最近私が思ったことです。でも、私はきっとこんな言葉は思い付かなかったはず。もし私が古人で、ことわざを作るなら「窓を開けて冷たい風の匂いがすると爆泣きしそう」にするね。クソ長語彙無し。これ、ポイントは爆泣き”しそう”ってとこね。秋はいつだって泣きそうさせるくせに、涙は出してくれないんです。そういうとこある、秋くんって。(肩を竦める絵文字)

まあそんなこんなで、今日はまったり自分のことについて書こうと思って。ただただ文字に飢えた人だけ、時間を食い潰すために読んでください。

 

ツイッターでもちらほら呟いてるけど、最近小学生と関わる機会が多いんだよね。めちゃくちゃラッキーなことに。しかも、1年から6年まで満遍なく。10歳以上離れている子たちと、話せるってのは本当に面白い。私は今を生きているし、きっとそのうち未来も生きることになる。でも過去に生きることはもう二度とないじゃん?でも、あの子たちは私の過去を、”今”生きてるんだよ。そういう子と話すと、私が過去に忘れてしまったことをいろいろ思い出す。本当にいろんな個性を持ってる子がいて、もちろん詳しくは書かないけど、とても面白い。もし私が担任ならしんどくなって、投げ出したくなるかもしれないけどねw でも共通してるのは、子どもってマジで尊い。私、狂うくらい子どもが好きでさ。世界で一番尊い存在だと思うし、何よりも尊重されるべきだと思うのね(重すぎ?)。一人一人と言葉を重ねると、この子の世界ってこの子の周りだけで完結していて、その世界を一生懸命生きてるんだなっていうのが手に取るようにわかるのよ。誰かの言葉に傷付いたり、家庭での出来事を引きずったまま来ちゃったり、かと思えばレクの時間になるとそのどれもを忘れてしまったり。彼らの世界は新しいことに満ちていて、きっと楽しいことも悲しいことも私の何百倍も早く迫ってくるんだろうなあ。話を聞く時に、視線を合わせるために、屈むのね。そうするとさ、黒板とか先生がすげ〜大きく見えんの。あと、消しゴムのカスは彼らにとっては遊び道具で。大事そうに筆箱に隠してある。可愛くて愛おしいっていう感情以外に、人として羨ましいと思う。子どもってできることが制限されると思う?そんなことないんだよね、実は。私がもうできないことを、彼らはなんだってやってみせる。例えば、私はもう虫やカエル、その辺の類は本当にダメで、近づきたくもないけど、彼らは当たり前のように教室に持ち込んで可愛がったりしてる。まあもちろん、苦手な子もたくさんいるけどさ。あとはやっぱり、可能性だよね。なーんでもできるし、なんでもなれるんだぜ。最強すぎる。大人としてはさ、これを頑張って欲しいとか、自分が頑張れなかったから子どもにその希望を託したりするでしょ。その気持ちもわかる。なんかさ、もう一度夢を見たいんだよね。もう見れないから。始めるのは何歳からでも遅くないって言葉に私は大賛成だけど、どうしたって人間は天井があるから。”天井があるから”なんて思ってしまう生き物だからさ。やっぱり子どもに比べたらね。そんなわけで、子どもを通して見ようとする。その気持ちはわかるけど、やりすぎはよくないよね。例えば、勉強を真面目にしなくたって、頑張れなくたって、子どもは今、自分の世界を生きるのに精一杯だから、それでいいじゃんって思わない?もちろん、将来を考えるとさ、大学を出ないと働けない、生きていけない、世間体が、なんていうのがよぎるけど、まだそれを知らない彼らを、そんなつまらない理由で縛っていいの?将来を見据えることも大事だけど、今彼らが過ごしてるとてつもなくかけがえのない時間を、ただ楽しく生きて欲しい。本当に心からそう思うよ。

 

え・・・・・もしかして、学校だより????????

 

 

子どものことになると熱量がバグる。推しと同じくらい私にとって常に活力だから。そういえば、推しにも同じ感情を抱いているな。私は、っしーくんのことを子どもだと思ってる?????

でもちょっと

 

 

 

愛の持続性

 

こんばんは。俺です。最近、大人になってしまって、あんまり「俺」って言ってしまうことが少なくなったんよ。「私」って言える様になりました。わりとね、わりと。なんとなく、「私」って言う自分がめっっちゃくちゃ恥ずかしくてよぉ!!!!!本当は俺とか、自分とか、そんなんで行きたいけど、まあしゃーないわな。もう成人しちまったもんだから。成人しちまったと言えば、今日はここ最近良く考える、私の悲しい現状。早速私って言ってるけど。文字じゃ恥ずかしくねーんだわ(笑)

 

タイトルにしたけど、愛の持続性。みんなはどれくらい続く?恋人との交際期間でもいいし、推しのことを好きな期間でもいいし。ちなみに俺は、常に後者だけど。結論から言えば、人生において平均すると、俺は1年がわりと限度。それくらいで好きじゃなくなるっていうより、新しく好きな人ができてしまう。いつも思うんだけどさ、この世って魅力的な人に溢れまくってると思わない?私現実的接点を持たない人間のことを盲信的に愛するよう(akaオタク)になってから、ちょうど10年くらいだけど、大なり小なり軽く10人はいるよね。まあオタクの平均がどれくらいか知らないけど、

 

 

 

無題

 

おはようございます。授業が退屈なので書きます。

今日は最近ず〜〜〜〜っと気になっていることについて。

詳しくは書かないけど、なんとなくで感じてください。

 

人には人の乳酸菌があるように、人には人の考えがあるわけで。更に、生活とか人生を支配しているものを思想なんて言ったりするけど。思想って、強弱に関わらずみんなに絶対あるはずなんだよね。それを自分で把握しているのか、自分の思想を把握できていないかの違いだけで。俺は割と把握できてると思うし、どちらかと言えば把握している人の方が好き。でも勘違いして欲しくないのは、思想っていうのは必ずしもどちらかに傾いてないといけないわけじゃないと思うんだ。別に真ん中の人だってそれは考え方のひとつだし、多い方に常に移動するのもひとつだし、それを考えた上でやっているのであればやっぱりそれは思想のひとつなんだと思うわ。だから、思想がない人なんてひとりもいなくて。まあ、その考えを表面に出すか出さないかの違いは如実に出てくると思うけどね。

 

俺はさ、いわゆる事なかれ主義なのよ。でも好奇心はあるから、結構眉唾物な話を調べたりするの好きなのね。で、最近はTwitterでもすごいやん。気になる言葉がトレンドにあるとすぐ見ちゃうんだけど、いや〜〜〜〜すごいね。みんなはさ、あれをどう捉えるよ。俺はさあ、何が真実かなんてわかんないんだわ。でもあの人たちには見えてそうじゃん、真実。もしかして、コナンくん???コナンくんの見すぎという説もありけり。コナンくん、真実はひとつっていつも言ってるけど本当にそうなのかね。ところで、真実って何??そういう話になってくるといよいよ哲学チックになるわけだけど。でも、自分の身の回りで起こってることですら全部を把握できなくない?俺はできてないね。実は仲良いあの子たちが裏で男を取り合っているという話を聞いたりするもん。とんでもねーや。まあその話すら、他人から聞いているものだから嘘か真かわからないけど。そんなもんじゃん。なかなか本人に聞く手段もないし。本人に聞いても主観だからさ、多分女の子Aに聞いたその話と、女の子Bに聞いた話と、更に言えば男Cに聞いた話も、きっと違いが出てくるはずだよね。コナンくんならもしかしたらこの3つの話から真実に辿り着けるかもしれないけど、俺には無理だ。

いや、後半からコナンくんにフューチャーしてるけど。でもどうよ、身の回りでもこんな始末なのに、他人とか国単位とか世界単位とか、そんなの何が真実かわからないでしょ。じゃあ真実もわからないこの世界で何を信じて願うかって、もう自分と身の回りの幸せに落ち着いてしまう。俺は薄情者だから、大変な環境に生きる人たちのことを考えて祈ることはしても、自分の周りに被害がなきゃ何もしないだろうね。結局自分の人生を楽しく生きることで精一杯だし、それ以外に興味がないのが事実なのかもしれない。わかりやすく、俺の楽しみを阻害されたら流石に何か行動に移すかもしれないけど、今俺は退屈な日々を楽しく送れている。それで十分なんだよ。

なんかの記事で読んだけど、こういう考えの人が増えているらしいね。授業聞いてたらさ、俺みたいな奴って、国の思うツボらしいじゃん。興味ないから好き勝手放題って。いや、わかるんだよ。授業で聞いた話もTwitterで見かける人たちの訴えも。理解できるし、ヤバイなって感じる。これじゃよくないなって思うけどさ、でもこの今現在、この瞬間、何にも被害がないんだわ。

 

 

特有の早口

 

こんにちは。

バースデーガールです。

誕生日なのでいっちょ自分の振り返りブログでも書こうと思ったけど、無理でした。自分に1ミリも興味ないので・・・(かわいそっ)

じゃあ何に興味があるかって、そんなの・・・そんなの推しに決まってるだろ!?!やんのかおい。

 

みなさんお気づきかとは思いますが、最近りんごもちぃとりょぼとてっとおぶてっとという人たちに””ガチハマり””してるんですよね。たいちゃんとかとりバも好きなんですけど、ここ最近かなぁーーーーり色付き3人がきています。いや本当に。ちょっ・・・・語ってええか???????魅力・・・・。お金払うから語らせてくれ。頼む。ていうか、こちら誕生日だが???????(威圧)

 

 

 

全部途中すぎて草。

次は頑張って仕上げまーーーーーーす!

 

 

水は滴り落ちていく

 

 

高校時代に水の話を習った。

確か国語の授業だったな、とても面白い話だった。

詳しくは覚えてないけど。

日本人は、水が流れる様を愛しているらしい。

日本に噴水が少ないのは、それが理由だって。

加工して、華やかで下から噴き上げる水よりも、

上からただ流れる鹿威しの方が好まれるって。

 

私は昔からプールによく通っていた。

泳ぐというより、潜るのが好きだった。

休日の市民プール、喧騒としているのに、

一度水に潜ると、音が消える。

嘘みたいに、そこは私だけになる。

その感覚が好きで、何度も潜った。

 

赤子は、羊水という空間から出ていくのが嫌で、

大泣きするとも言われている。

それを聞いて、私が何度も水に沈むのは、

再び胎内に帰ろうとしているのかなと思った。

生きていくのが嫌で、誰とも関わりたくなくて、

それでもへその緒で繋がれてる安心感が欲しくて、

私は胎内に戻ろうとしている。

 

望んで生まれてきたわけじゃないけど、

自分の人生と引き換えに育ててくれた親のためなら、

頑張って生きていこうと思う。

どうせ生きていくなら、他人に優しくしたい。

きっと誰もが最初はそう思っているはず。

私は性善説を信じている。

いつから道が違うんだろう。

自分が、自分が、自分が。

自分さえよければ、他はなんでもいい。

申し訳ない気持ちはあっても、

やっぱり可愛いのは自分。

小さい頃はあんなに重みのあった

「ごめんね」が

今では挨拶のように言えてしまう。

大人になるってこういうことなのかな。

汚くなっちゃったことに理由をつけるために、

これが大人になった証拠だよ、なんて言うんじゃないの。

 

俺だって、みんなに優しくしたいよ。

誰をも愛して、苦手なところを見つけても包み込んで、

愛し愛され生きていきたいよ。

みんなが思う優しさを、俺だって備えていたかった。

伝わらない優しさなんて、

誰の役にも立たない信念なんて、

端から持ってない方が良かったよ。

 

私には、生まれつきの優しさも、

思考をがなぐり捨ててまで信用できる素直さも、

兼ね備えてないから。

だからせめて勉強して、学んで、努力して、

誰かの手助けをしたいと思ってる。

まあ、上手いことまとめたけど、

私は人生において後悔してることなんてひとつもないし、

ずっと考え続けて、出し続けてるこの信念に、

少しの間違いだってないと思う。

だけど、

これは間違ってるね、って

笑える相手がいたら違ったのかもしれない。

一緒に間違えちゃおうよ、って

手を引いてくれる人がいたら、

今の私じゃなかったのかもしれない。

そんなの巡り合わせだから、

もしそういう人生が送りたいなら、来世に期待しとこうね。

現世は、いつだって正しいことを考えて、

自分の信念や思考をブラッシュアップして、

誰がいなくなろうと、自分が正しいと思う生き方で生きよう。

世界がひっくり返っても、私だけは変わらないでいよう。

きっと人は、変わらないものに安心するから。

私のように、変化が怖くて泣いてしまう人がいないように、

私だけは変わらないでいよう。

私のために。誰かのために。このままでいる。

 

目に見える優しさだけが、本当の愛だと思う?

誰にも見えない気持ちは、あるだけ無駄?

そうじゃないでしょ。そうじゃないと思いたいよ。

自分が強く、誇り高く、ただそこにいるだけで、

安心感を与えられるような存在でありたいと願うよ。

 

私のバイブル、とある少女漫画のセリフ。

「人は何度でも選ばなかった選択肢を考える」

この言葉のおかげで、後悔をしなくなった。

どうせ別の選択肢を考えてしまうのなら、

どっちを選んだって同じ。

直感でいいし、運でいいと思った。

起こったことは変わらないし、

なってしまったことはしょうがない。

そんなことより、したいことは山ほどあるから。

 

これで誰かのアンサーになったかな。

悲しいことがあっても、傷つくことがあっても、

私は変わらないよ。

嘘なんてたやすくつけるけど、つかない。

好きだよ、大好きだよ、なんて、

本当に思ってるからこそ、言わないもんだと思う。

言葉が欲しいなら、Siriにでも話しかけていてくれ。

そのかわり私は変わらないことで、

何度でも思考して、その思考を示してみせることで、

誰かのそばにいるつもり。

 

運が良ければ、いつかどこかで。

私が変わってもいいやと思えるようなものに会えますように。

この思考を止めてまで、

間違いを楽しめるようになりますように。

 

それまでは考え続けるよ。

たとえ、世界にひとりになろうとも。

水が流れゆくあいだは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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こんばんは。久しく。

今日はマジで短めです。140字いくのすら怪しい。

それじゃあ、ツイッターでやれやって?

うるさい!!!!!!!!!!(DV)

 

 

今年は何も思い出がないです。

会いたかったフォロワーに会えない、

いきたかったイベントはなくなる、

自律神経が乱れて冗談にならない鬱状態が続き、

病院に通った生活という私の人生にとって、

滅多にない不運が畳みかけてきてました。

まあ、今は全然元気なんですけどね。

豪運を自負してる身なのに、今年はなかなかの運悪でした。

これが意味することをご存知ですか?

そう、来年はとんでもないということです。

とんでもないくらい、運が良いということ。

多分5億が空から降ってくるし、

朝起きたら顔がはしかんになってるし、

体重がモデル体型にまで一気に落ちるし、

突然推しに告白されるし、

そのままストレートに結婚が決まるし、

学業も上手くいきすぎるし、

急に理事長に表彰される。

 

は〜〜〜ヤバすぎる。

今から震えてる。

そんな年が始まろうとしている。

 

これを読んでいるあなたにも、

とんでもない幸せが訪れますよ。

あの、冗談と思ってるかもしれないんですけど、

これガチです。

いや、変な勧誘とかじゃないです。

これはガチです。俺の運だけ人生をなめるな。

 

まあ今年は散々だったけど、

俺と君にとって神がかった1年がくるといいね。

 

今年1年間、どうもありがとう。

多大なる愛を込めて。

また、2021年で会いましょう。

 

 

それでは。良いお年を。