アイ、アム、アイ

他でもない自分について

プレゼント

 

 

こんにちは。

今日はあなたに私が最近得た知見をプレゼントしようと思います。

もう持っていたなら、申し訳ない。

プレゼントが被ってもその場は笑って過ごす、それが大人の優しさだと思って。

 

後悔と恋の関連性を考えたことがありますか。

あの時告白しとけば、あの時喧嘩しなければ、とか。

わりと恋愛には後悔という単語が関わっていると思うわけです。

恋愛とは少し違いますが、私もあの時、ああしなければ....と思うことがあります。

今年の春に、悲しい別れをしました。

恋愛ではなかったと思います。友達と互いに自負していました。

それでも心のどこかで、友情とは言い切れないかも、と自惚れていたはずです。私も相手も。

そんな相手を私は自ら手放したわけです。

くだらない理由でしたが、耐えれなかった。

しかし、次の日からは後悔の毎日でした。

アホだと思いますが、それこそ今日というこの日まで。

忘れたことはありません。

後悔という感情は恐ろしいもので、傷は浅くなり悲しみもなくなるのに、いつまでも傷として残る。

痛みも痒みもないそこを、何度も見ては撫でてしまう。

愛着まで湧いてしまえば、忘れることは二度とないでしょう。

そんな傷になりました。その人との別れは。

恥ずかしながら、一度だけ謝罪の便りをだしたのです。

もちろん返事は来ず。かさぶたを剥がしただけでした。

そこからしばらく忘れていたのに、私はもう一度手紙を出してしまったのです。

そしたらなんと、なんとですよ。

返事がきたんです。もう1年以上経つのに。

覚えていてくれたんです。驚愕して、死にそうになりました。

そんなこんなで、連絡が取れて、

最近何してる?とか、そんな近況報告をすることができたわけです。

 

前置きが鬼のように長くなってしまいました。

本当に取り憑かれたように悲しみに暮れてたんです、私。

そんな焦がれた相手から返事が来て、何を想ったか。

わかりますか、皆さんには。

まずはとてつもない驚きです。そして同時に嬉しさ。

そのふたつの後ろに少しだけ、ほんの少しだけ虚無感です。

そう、虚無を抱いたのです。私は。

現に、もう相手から返事は来ていません。話は途中ですが。

でも、なんとも思わないのです。

この1年、私の首を真綿で締めていたのに。

相手から反応が来た瞬間、何かを失ってしまった。

もう私に後悔の念はありません。苦しみから解き放たれました。

しかし同時に、湧いた愛着すら消え失せてしまった。

 

そこで気付いたのです。

私は後悔に恋をしていたのです。

相手と過ごした時間に甘いエフェクトをかけて、

楽しかった事実を誇張して思い出していたわけです。

 

再び思い出を話します。

小学5年生の頃に、とあるキャラに恋をしていたのですが、ある日アニメを見ていたらそのキャラが愛した女が出てきたのです。

リアコ強火オタであった私はその事実だけでむせび泣き、死にたくなるほど病んでいたのに、なんとその女は死にやがりました。

酷い言葉遣いで申し訳ないんですけど、その当時、私は絶望に突き落とされたのです。

ああ、これで私の好きなキャラは二度と恋をしなくなるんだなと。

綺麗なまま、心にその女を残して、誰も愛さなくなるんだろうなと。その事実に気付いて、死にたくなりました。

 

このように、人というものは綺麗なものをそのままにしておけることができます。

それは、それから離れることです。失うことです。

きっと私は、あのままあの人と一緒に居れば、ここまで焦がれたことはなかったかもしれません。

いっときの感情で手放してしまったから、こんなにも求めてしまったんだと思います。

 

好きって感情は、とかく不思議なものです。

恋に恋するなんて、よくできた言葉だなって思います。

私が好きだったのは、あの人と共有していた時間だったのかもしれません。

あの人の前で笑う自分が好きだったのかもしれません。

離れて初めて好きだと気づくなんて、ありえない話なのです。

相手がいないのに好きになるなんて、そんなの。

そんなの、本当はありえないんです。

 

こんな知見を最近になって得ました。

もしよかったら、参考にしてください。